ゆいしきは既に答えを出していた

唯識は仏教の思想ですが、古代インドの科学だともいわれています。
現代の科学では唯識の思想を裏付ける検証もあるとされています。

私は幽霊、UFOも見たことありますが、
私たちの五感(認識器官・認識機能)が物事の事象を認識をしなければ、そこにそれらは「存在しない」ということになります。
これが「唯識」が提唱する事象の在り方なんですね。
でも人間が物事を認識しなくても物質としての存在は確かにそこに在るではないか、と思いますよね。
タゴールとアインシュタインの対話でもありましたように、月はあるのかないのか?
物質としての月は確かに存在する!と、それは事実だと。
でもタゴールは、存在しないと言います。唯識も同じ見解です。
不思議な世界ですよね、唯識の思想。

たとえば、
目の前の事象・対象物の本質を捉えようとするとき、「自分」という仮想現実の物体が目の前のものを外界から客観的に認識していては、いつまでたってもそれは「客観的な見解・客観的な本質」に過ぎず、主観での本質では決してない、ということになります。
この科学的な立ち位置では、いつまでたっても私たちは十人十色の客観的での見解に留まり、そのモノの絶対本質を捉えることは不可能であるといえる。
これが科学の限界なんですね。
3次元では決して物質世界の制限(境界)を越えられない、という限界です。
しかし、自分の五感という物質的機能に頼らず、意識を阿頼耶識まで落とし込んで対象物と主客合一の立場を取るなら、対象物の本質は自分の中に感じられ、そのモノのエネルギーとしての本質を正確に捉えることができます。

唯識の結果はこうなります。
世界は意識が創り出しているのだから、
これからの世界も自分の意識を調整することで思い通りになるということになりませんか?
しかし確かにそれら目に見えないモノを認識する人もこの世の中には居るのです。
ちょっと視力が良い、くらいのことなんです。
特殊能力でもなんでもなく、神経を研ぎ澄まして、意識を阿頼耶識まで落とし込めば、
それら肉眼では見えない物質たちは、別の形で視えるようになるんですね。
幽霊分子のニュートリノ
私見ですが、
私はニュートリノは幽霊の一種だと思っています。
というか、幽霊はニュートリノの性質だと思ってます。
幽霊は肉眼では見えないですが、
カミオカンデのプールの中では光の結晶で視えるだろうと信じています。
私は8年前にカミオカンデのニュートリノ施設に見学に行きました。
その時はまだ梶田先生はノーベル賞を受賞する前でしたが、その施設でニュートリノを見た時に私は確信しました。
そして梶田先生がノーベル賞を受賞された時、世界が幽霊を認めてくれたと思って嬉しくなりました。
ようやくこれで「幽霊を見た!幽霊はいる!」と言っても馬鹿にされない時代が来る!と。

「意識は光よりも速い」
これも実体験から言えば明らかにYESで、
カメムシと会話したときも、彼から発せられた意識エネルギーは、
発せられたと同時に私の意識にアクセス(アクセスする距離も時間もなく、完全に同時)しました。
光はいくら速いといっても「移動する距離」と「かかる時間」が存在しますが、
テレパシーやワープは「同時」です。
人間の会話や動作は一定の時間がかかり、相手に伝わるまでにすごい時間を必要としますが、
テレパシーは同時です。誤差がないんですね。
カメムシが意識エネルギーを私に送った時、私が受信したのは彼の発信と同時です。
この感覚は3次元の物理的世界では不可能です。
明らかに高次元の世界を垣間見た一瞬でした。
カメムシと会話したブログは以下でご覧ください✨
https://ameblo.jp/siratamacyan/entry-12546962797.html
高次元の世界を垣間見ることは誰でも普段からしていることです。
ただ、それが無意識下でおこなわれているので自分で気づいていないだけ。
本当は人間は神や宇宙の分身であって、いつもその次元にアクセス可能な状態ですよね。
それらの能力を認め、開花する特訓の必要があるのも常に私は伝えています。