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高次元の精神的世界|テレパシー



高次元はエネルギー世界

人の魂は本来とても美しくて光輝いています。

それは生体エネルギー。相手に言葉ではなくエネルギーとして伝わるものです。
声を発しなくても魂で感じ取れるもの。それは周波であり、テレパシーと呼ばれるものであります。

テレパシーは思念するだけで相手にその情報が瞬時に伝わります。それは光の速度よりも早く、そして確実です。
心に感じた瞬間に相手に伝わりますのでロスもなく嘘もなくダイレクトです。




言葉を使う現代人

テレパシーとは高次元世界での情報交換ツール

つまり、情報伝達の一つの手段です。
しかし私たちは言葉を使うようになりテレパシー波動を受信する能力が退化してしまったようです。そして心の波動・テレパシーを送受信することがなくなり、言葉を情報伝達ツールとして利用するようになりました。

言葉は便利であるように思いますが、時に誤解を招き、真意とは違う情報を相手に与えることがあります。うっかり誤って伝える場合もあれば、故意に意と違った情報を伝える場合もあります(虚偽の伝達・嘘)。

嘘は相互関係でトラブルを招きます。一時的にはそれで済むかもしれませんが後々それは明るみに成り、事が大げさになり、最後には争いになりかねません。

私たちは言葉を使うようになってから、心(真意)とは違う情報を伝えることを覚えるようになり、それは悪用されるまでになりました。


テレパシーは波動

人は同じ周波数同士が居心地が良い

テレパシーは、思考が電波のような波長(エネルギー体)で、その情報は相手にダイレクトに伝わります。
人間はエネルギー体。そして、思考すらもエネルギーです。エネルギーは粒子として相手のエネルギーと干渉します。調和するのです。

エネルギーは波長が合ったものと調和します。高周波のものは、高周波と。そして低周波は低周波と。


ちなみに、ポジティブ思考は高周波と言われています。
常に前向きでプラス思考の人は同じ思考の人と波長が合いますから、同じタイプの人が集まります。

マイナス思考の人はマイナス要素の波長で合います。


類は友を呼ぶ、とはこのこと

世界が違う人、世界が遠い人、など、相手と壁を感じるのはこの波長の違いによるものです。
自分と合った波長の人でなければ高望みしても仲良くすることはできません。
不平不満ばかり言っていると、周りの人も同じ類の人が集まってきます。波動が同じなので自然の成り行きです。
そして、不平不満の人たちは、同じ次元にかたまります。

私たちは同じ次元に暮らしているようにみえて、実は見えない境界線で世界が分けられています。

それは、高周波(高次元)の世界と低周波(低次元)の世界です。



素晴らしい波長を持った人と仲良くしたいなら、自分をまず先に高める必要があります。自分が高まれば勝手に波長が合いますので努力なんてしなくても理想の人と合うことができますし、同じ世界で交流することができるようになります。

高次元では魂どうしが意思疎通をしています。言葉を発しなくても情報交換ができるのです。
既にこの3次元空間でもテレパシーは存在します。そして、それを密かに利用している場合もあるようです。

もしかしたらこの次元はもはや3次元ではなく、知らないところで4次元以上もしくは6次元以上かもしれません。


高次元世界はどこにあるのか






私たちの潜在意識の奥にその高次元はあります。ここにハイヤーセルフが存在し、そこから他人へと繋がっているのです。

テレパシーを感じてみてください。そして大切な人にテレパシーを送ってみてください。テレパシーは「祈り」でもあります。

相手を想う気持ちは伝わります。祈りは相手に通じます。相手は祈りを無意識領域で受け取って、その通りに作用します。


もし、

相手の不幸を願った場合は自分にも返ります。

意思は疎通するものなので、一方通行ではありません。
相手に与えたものは必ず自分にも返ってきます。
悪い粒子を与えれば悪いものが返ってきて、良い粒子を与えれば良いエネルギーが返ってきます。

これが因果応報という原理です。
因果応報とは仏教用語で、善い行いをすれば善い結果が得られ悪い行いは悪い結果をもたらす、としています。

良く「ばちが当たる」とも言われていますが、神様は「バチ」は与えません。自分の行いが悪いとそのまま返ってくるというだけのことです。
ですので反対もまた当然ある、ということです。


相手の幸せを願いましょう。

決して他人を憎んだり、羨んだり、蔑んだり、妬んだりしてはいけないのです。

その心が自分を汚してしまうからです。

キリスト様は、どんなに自分が虐げられても決して人々を憎まなかったのです。
それどころか、彼らを哀れんだといいます。
人の心の醜さは、キリスト様には救うべき迷える子羊たちなのです。

人々は分かっていないだけなんだ、と、本当に深い愛で彼らを見ていました。
人の罪を、許してしまえる方だったのです。


天は、

全ての人が深い愛情を持つことを望んでいます。

それは私たちの共通の使命なのです♡


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