般若心経の意味|物語風

般若心経ものがたり風
ある日、霊鷲山(りょうじゅせん)でお釈迦様が深い瞑想に入られました。 お釈迦様の説法を聞くために共に居たお弟子たちはその様子をじっと見つめられておりました。

お弟子たちはお釈迦さまの説法が始まるのを今か今かと待っておられました。
その中にいた高貴な観音菩薩は、お釈迦様と同じようにして、尊い智慧の瞑想(般若波羅蜜多)を実践しました。
暫くすると観音菩薩は、そこである真理の事実を悟り得ます。 その真理とは、 「人間は実は実体がないまぼろしのようなものである」 ということでした。
それにより観音菩薩は、この世の一切の苦しみから解放され、安らぎの境地に至りました。
シャーリープトラが観音菩薩に訪ねます。 「この世の真理とは何でしょうか。どのようにしたら真理の世界に到達できるのでしょうか。」
観音菩薩は答えました。
シャーリプトラ、実はこの世では、物質とは実体がないものであり、 実体がないからこそ人はそれを「物質」だと捉えている、ということです。 実体がないと言ってもそれは物質的要素(構成要素)が無いのではなく、 しかしながら、そこには確かに自分が認識するような物質があるのだとも言えません。
この世界はまるで仮想現実のようなようすをしています。 このように、物質的現象というものは実はすべて幻を見てるようなもの、ということです。 むしろ、実体がないということが、それゆえ物質的概念であるといえるのです。
物質だけでなく、この手の感覚も、表象も、自分の思考も、あらゆる知識についても同じく実体がないのです。
シャーリプトラ。
この世の存在する全てのものは実体がないということになります。 つまり実体がなければ、何かが生じるということもなければ滅するという現象もない。 何かが汚れるということもなく、浄らかだということもない。 それらが増えたり減ったりすることもない。
ゆえにシャーリプトラ、勘違いの世界には、自分が執着するような物質なんてものはそもそもなく、 それを受け止める感覚もなく、現象もなく、意思もなく、智慧もない、 眼も耳も鼻も舌も身体も心もなく、かたちもない。形がないので、声もなく、香りも、味も、感触もない。
目の前に見えているものは自分の勘違いで完成されている現象。 目に映る世界から意識界に至るまでことごとく実在ではないのである。
よって、存在しないものへの執着からくる悩み苦しみもない。 だからもうこの世の中は勘違いの世界なのだから、 迷いなんて勘違い、苦しみなんて勘違いしているということ、だから悩む必要がない。
物質世界の真実を知り、物質への執着(勘違い)を外れたら、 こうしてついにそこは老いも死もなく、老いと死という恐怖の概念を超越する、 という境地に至ります。
苦しみも、苦しみの原因も、 そもそもないんだよ。 だから目の前のことにこだわる必要がなく、 それに迷うことも無く、苦しむ必要もないんだよ。 私たちが苦しんでいる目の前の現象はまぼろしです。
よって、この世界は私たちが勘違いしている世界、仮想現実ですから、 その真実を知るための智慧の修行をすれば、心の恐れがなくなり真の安住に到れるのです。 心の妨げがないため、そこには恐れや迷いはない世界です。
そこは、 執着した妄想の世界から解放され、まやかしの現象を超越し、苦しみの束縛からまったく開放された境地、永遠の平安に至ります。 もうすでに、過去・未来・現世を悟った人たちは、 その境地でぬくぬくと安住の中に暮らしていますよ。
それゆえ全ての人間は、この境地に至る智慧のマントラを知り、 真理の境地(空の世界)へ繋がるべきである。
それは智慧の完成に導く真言(マントラ)、
大いなる悟りの真言(マントラ)、
この世でこれ以上のない真言(マントラ)、
一つとして同じものはない唯一無二の真言(マントラ)、
この真言(マントラ)はすべての苦しみを鎮めるものであり、偽りなく宇宙の真理であります。 その偉大なるマントラとは次の通りです。
さあ共に唱えましょう!
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」
シャーリープトラ、
これが般若波羅蜜多のマントラでありますよ。

深い瞑想にはいられていたお釈迦様はここで目を開いて仰いました。
「尊い方よ、実にいま貴方のおっしゃった通りです。 それがこの世の真理です。」
お釈迦様のお言葉を聞いた人々は歓喜に沸き大いに喜びました。
