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痛み・苦しみは捉え方次第で軽減できる

痛みとは。苦しみとは。

痛みの捉え方

痛みは身体の防御反応だと言われています。痛みは身を守るためには必要な身体の反応ですが、しかし苦痛であるが故に出来れば避けたい感覚の一つです。

痛みは人間ならば誰もが感じるものですが、しかし、同じ種類の痛みでも、その痛み方や痛みの感じ方は人によって違うように見られます。

例えば腕を骨折したとします。ある人はそれが物凄く地獄の苦しみのように痛がる場合と、ある人は同じ部位の骨折でもほとんど痛がらず我慢できる範囲だと言います。この違いは何でしょうか。

また、別の見解をしてみましょう。怪我や病気などによる痛みとは違い、心の痛みや苦しみを例に取ってみます。

私は占いやカウンセリングをしていますが、ご相談者の方々のお話を聞いていて、やはり状況が同じなのにその受け止め方、反応の仕方が様々で、同じ苦しみなのに悩み方が軽い人と、とんでもなく大きな悩みとして人生終わりみたいな表情の人もいるのです。

一般的な見解では明らかに不幸だと思えるような人生でも、本人がさほどそれを不幸だと感じていない。一見とても不幸な出来事ばかり見舞われているのに、ご本人さんは「それほどでもない」といった感じ。
これは本当に幸福な方だなあと、逆に思ってしまうのです。

また、一般的なご相談では比較的軽い方、だと思われているお悩みでも、ご本人さんが絶望的な苦しみに囚われている場合もあります。私はあくまでも平均的に観ていますが、やはり幸不幸の差は、その問題点を捉える本人さんの心持ち次第なんだなぁと感じざるを得ません。


不幸な人(自分を不幸だと思っている人)は、自身で「自分は不幸なんだ」と思い込み、自らその不幸の世界へ迷い込んで行っていると感じます。
いつもマイナスなことばかり考え、負のエネルギーを背負って生きている人は明らかに負のエネルギーを寄せ付けます。負のエネルギーはトラブルや事故やけがを招きます。当然と言えば当然なのですが、ご自身ではそのことを気づいていません。

幸福な人は、自分を不幸だと思っていません。つまり、自分を不幸だと思わないことが幸せなんだと思います。そして、何か起こってもその現象についてプラスに働きかけることが出来ます。プラスに考え、プラスに捉え、前向きに対応します。不幸だなんて全く思いません。そしてここで肝心なのは、この同じ現象を目の当たりにする人が「不幸体質」の人ならば、同じ痛みのはずなのにその苦しみようは歴然です。「ああ、どうしよう、絶望的だ、もうだめだ、もうおしまいだ」と考えればもちろんその時点でおしまいとなってしまいます。
この両者には明らかに差ができて、人生がぷっつり二手に分かれます。幸福人生に進む人と不幸人生まっしぐらの人と、ここで別れるのです。


痛みをコントロールする

では、痛みを感じなくするにはどうしたらよいのでしょうか。
痛いものは痛いんだ。苦しいものは苦しいじゃないか。と、思いますよね。体が痛がっている、心が痛がっているんだから仕方ない。と、その通りです。しかし、そう思い込んでしまえばそれで終わります。実際に、人生を痛がらず、苦しまずに過ごしている人はいるのです。それは、どんな事件が目の前に起こっても、そのトラブルの要素を捉える時の自分の心を「ある状態」に保てるかどうかなのです。

ある状態、とは?
それは心がニュートラルな状態を意味します。二元性ではなく一元的な思考です。そんなことができるわけない。ですよね。それは簡単ではありません。でも、修行、特訓、訓練によって自分の考え方が変わり、そして思考が変わり、運命が変わります。自分の心が制御できて痛みも苦しみもコントロールできるようになるのです。


お釈迦様は2500年も前にこの世の苦しみ・痛みを全て味わいました。それを一時は嘆き、そして修行によって克服しました。この世は苦しいものだ、と、お釈迦様は断言しています。けっして「この世は素晴らしい」とは言わないのです。でも、その「苦しみ」は修行によって軽減できるのだということを私たちに教えてくれました。その有難い智慧が仏の教えです。そして、それらを体得することを求められているのです。

なぜなら。
この世の苦しみはまやかしであり、自分の捉え方次第で変わる。本当の真理を知らずに私たちは生きています。その真実を知ることが智慧であり、智慧を知らずに生きることは愚かな事だと言うのです。

愚かなこと、と言うと語弊があるかもしれませんので、私ならこのように伝えます。
この知恵を知らずに過ごすのは実にもったいないことだ。
という感じですね。


仏教の神髄と言われる教えを学ぶことは本当に有難い智慧を頂けるということです。
仏の教えは、いかに苦しい人生を苦しくなく生きられるか。という知恵袋みたいなものです。ぜひ、習得して苦しくない人生を満喫して頂きたいと思います。

幸不幸のライン引きなんてない

そもそも幸・不幸なんていうものは他人がジャッジするものではありません。
あの人は不幸だなあ、あの人は幸せな人だ、なんて、他人が見た目だけで判断できるものではないのです。幸せだと感じることができることが「真の幸せ」なのです。痛みもなく、苦しみもなく、不安もなく、今が楽しい一瞬一瞬の刹那な時間が幸せなのです。

他人が不幸だと言ったとしても、自分が心から感じたことが「真実」となります。自分が心から幸せだと感じられればそれでよいのです。どんな状況でも自分が幸せだと感じられ、人に感謝できる人、そして人に感謝を伝えられる人が「真の成功者」であるし、「真の幸福者」だと思います。


苦しみを軽減する修行法、特訓

お釈迦様は6年の修行をして悟りの境地に辿り着きました。その主なものは瞑想です。心を見つめ続けました。インドでは「人のこころ」は猛獣のように暴れん坊で手が付けられない厄介なもの、と位置付けられていました。そう、私たちの心はコントロールできない猛獣のようなものです。そんな大変なものを抱えて生きているのですから人生苦しいに決まっています。

瞑想は自分を見つめ最後には自他の分別を超越するところまでたどり着きます。自分と他人を分けない世界です。憎しみも争いもない世界です。自分と他人の境界線がなくなるのです。そして苦しみもなくなります。

痛みを軽減するヒーリング

痛みを軽減するヒーリングもあります。痛みを取る訓練により、身体の異変に気付き、痛みを自分で取ることができます。
慢性的な痛みは日ごろからのケアで、いつもの痛みがかなり和らぐようになります。もしくは痛みの頻度が少なくなるでしょう。

突発的な痛みも軽いものならば、その日のうちにヒーリングでかなり痛みが激減します。もしくは完全に取れてしまう場合もあります。


痛みをコントロールできるということは、かなり高度なヒーリングです。自分自身に施せるようになれば日ごろの苦痛はほとんどなくなり、快適な日々が送れるようになります。


遠隔ヒーリング

また、自分の痛みがコントロールできるようになれば、次は他人にヒーリングすることをおすすめします。まずは身近な人、知人、家族などにケアしてあげましょう。慣れてくると、遠隔からもヒーリングできるようになります。

ヒーリングには距離や時間の概念はありません。いつ、どんな時も、どこからでも、距離も関係なく相手にヒーリングすることができます。

ヒーリングを受けた相手は数時間もしくは数十分で気分が快適になってきます。遠隔だからと言って効果がないとか、パワーが弱くなるようなことはありません。遠隔ヒーリングでの病気の癒しが可能だという事は科学的にも実験的に立証されています。


痛みを和らげるヒーリング方法

これは次のブログでご紹介したいと思います。お楽しみに。


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