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痛み・苦しみのない世界はあるのか

悩み苦しむこの世の中に苦しみのない世界はあるのでしょうか。苦しんでいない人間なんてこの世にいるのでしょうか。

仏教は苦しみから逸脱する方法を伝えています。仏教は実は古代インドの科学であり自己啓発、人生改革、脳改革、意識改革です。

「人生から苦しみを解き放つマニュアル」「釈迦直伝!苦しみから逃れる方法!」というタイトルで現代風に伝えると分かりやすいと思います。

まずはどうしてこの世は苦しいのかお伝えしていきます。


痛みや苦しみはどこから来る?

この世の苦しみの根元は私たちのこの肉体です。三次元の世界は物質世界ですので、物質に執着することがそもそも苦しみの発生源であり、肉体こそが苦悩の大元であります。

痛み・苦しみは、「肉体」を持った者がその物質へ「執着」することにより生まれます。つまり人間として肉体を持って生を受けた時から既に苦しみは始まっているということです。

ということは誰もが必ず苦しみ(肉体)を抱えて生きている、ということになります。苦しみや悩みのない人間(生物)はない、ということです。


痛みと苦しみを感じる仕組み

痛み・苦しみは、「肉体」を持った者がその物質へ「執着」することにより生まれます。まずは肉体(自分)への執着、そして自分に執着するため、他人との隔たり(壁、境界)を作ります。そこで相手への執着が始まります。

自分に執着するあまり自分が他人より優位な立ち位置になりたいために物質への執着が始まります。そして物質を持さないとその不安から苦しみが発生します。他人がそれを持っていると自分に劣等感が生まれ、また苦しみます。

たとえやっとその希望する物を手に入れたとしても、今度はそれを失うのではないかという不安(苦しみ)が更に生まれます。苦しみが増えて行くという仕組みです。
そして希望する物が手に入って満足なはずなのに、更にそれ以上の物が欲しいと言う欲望(苦しみ)が増大していき、苦しみがどんどん膨張していく仕組みです。

人間とは実に愚かな生き物です。自分に執着するあまり、自分の外の物に執着が増していき、その欲求に際限がなくなって行って、挙句自分を苦しめてしまいます。


肉体がない世界とは

人間が死を迎え肉体と離れる時期が来たら、私たちは「肉体(境界)」から解放され、他人と自分を比較すると言う苦しみから解き放たれます。比較がなければ執着もなくなり、安らかな状態に成れるのです。

その時に魂となった私たちの「意思」は肉体を離れ「元の在るべき場所」に還ります。その世界は高次元とも天界とも言われています。

肉体からの離脱後、死後の世界はあるのだと現代の科学では認知し始めています。死後の世界、魂、幽霊などは一昔前はスピリチュアルやオカルトの世界での話でしたが、現代ではようやく科学がスピリチュアルの見解に追いついて来ていると感じます。

悟りは2500年前に既にお釈迦様が体得し、それを人々に伝えています。悟りは科学であり、哲学です。
肉体のない世界は科学で証明され、哲学で語り継がれて来ています。

肉体がない世界の話は別記事にまとめてありますのでそちらを参照して下さい。


死ねば楽になるか

この世の苦しみの根元は私たちのこの肉体です。三次元の世界は物質世界ですので、物質に執着することがそもそも苦しみの発生源であり、肉体こそが苦悩の大元であります。
その肉体を離れるということは当然苦しみがなくなるということですが、それは「楽になる」ということではなく「苦悩(肉体)からの脱却」と捉えます。

真の安楽「解脱(げだつ)」は、単に肉体を離れるだけではなく、輪廻転生のカルマから解放され二度と物質世界の三次元へ堕とされることがないこと、

この世から苦しみをなくすことはできない。
なぜならこの世は苦しいものなのだからである。
ならば、人はこの世の真理を得て、
今後、二度と苦しい世界へ堕とされることがなくなれば良いのです。

その苦しみの繰り返し「輪廻転生」からようやく脱出することがお釈迦様の伝える「真の最終目的安寧であるのです。


ですので単に死ぬことが楽になることだとは言えません。むしろ、中途半端に肉体を離れてしまえば苦しみのやり直しということになります。



自殺はどうなる?

お釈迦様の自殺の捉え方としては、自殺は悪いことだとは伝えられていないのです。ですが、お釈迦様が自殺しようとしている女性と出会ったエピソードによると、自殺をしたら更に苦しい状態に自分を追い込むことになる、自殺しなければ良かったと後から散々後悔しても、もう遅い。良く考えて判断するがよい。と、牛の話を例にして説かれたそうです。(女性は自殺するのをやめました)

お釈迦様のこのような伝えから推測すると、苦しみから逃れるための手段として自殺は最も適さないものだという事ができます。

自殺は決して楽になるものではなく更に苦しみを増す行為だと伝えられています。


輪廻からの解脱はどうすれば?

もうこの苦しい世の中から脱却したい、そしてまた転生することなく極楽浄土で留まりたい。しかしそんなことが本当にできるのか。

それには条件があります。カルマ(業)を無くす、もしくは減らすことが解脱の条件となります。

お釈迦様の説いたカルマはかなり難しいです。
虫一匹でも殺したことがあれば、それはもう輪廻転生者に該当します。
害虫と呼ばれるものもそうです。害虫とは、人間がそのように認知しているだけのことであるのです。果たして自分は生まれてから何度虫を殺してきたでしょう。
お酒もだめ、性行為もダメです。食べ物も死なない程度の最低限ということになります(死んでしまっては今世でカルマを解消することができないから寿命までは苦しみながら生きなくてはなりません)。

物質に執着を持つことがダメなのですから、物質世界で生きている私たちにそれは残酷な条件ですね。

今世で無理ならば、また輪廻転生して一からやりなおしです。また赤ちゃんからやり直すのです。ならばもう、せっかく人生ずいぶん頑張ってきたのだから今から全て終わらせたいですよね。

今まで私利私欲にまみれ、他人を傷つけ、やりたい放題だった大量のカルマを、今後の人生、少しずつ解消していく作業です。これで最終解脱にいけるのです。


カルマの貯金と返還作業

でも、自分のカルマが大きすぎて残りの半生では到底間に合わない場合は諦めて来世で根性出すしかないです。
しかし、少しでも今期でカルマの貯金を減らしておけば、来世でのカルマ量が減ることになりますので、今からでも少しずつ返却作業をしなければなりません。

しかし悲しいことに、転生すると過去の記憶は消されますので、果たして自分は
また 、仏教に目覚めカルマ消し作業に従事できるようになれるか本当に不安になります。

自分は少しでも今世でカルマを減らしておきたいと思います。そうすれば、来世は生まれ変わったとしても比較的苦しみが少ないステージでやり直しをスタートさせてくれるのではないかと思っています。

寿命までにカルマ消しが間に合わない人は少しでも現世で自分のスキルを高めておいて、来世で楽にカルマ消しができる準備をしておいた方が良いのではと考えます。


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