成功はお金じゃない。地位でもない。では何か?

お金の価値観とその意味
成功したい、お金持ちに成りたい、という想いは多くの人が願うことでしょう。
物質世界で物に執着する姿は先進国ほど強いのではないでしょうか。成功ストーリーやアメリカンドリームは常に私たちの心に刺激を与えます。
しかし、その反面、叶えられない現実に打ちひしがれてしまう毎日です。確かに、一部の人々は大きな富を手にすることでしょう。しかし、それが本当の幸せ・成功なのでしょうか。皆さんは成功とは何だろう?と、考えたことはありますか。それはお金だと思いますか。
もし、成功がお金であるならば、「物質」がこの世で最高の喜び・幸せということになってしまいます。物質の世界なら当然かもしれません。
ただし、それは世界中のすべての人が手にできるわけではありません。全員が手に出来ない、一部しか手に出来ない成功ならば人はそれを手にするために、他人を蹴落とし出し抜いて自分が手に取る、という惨劇を繰り広げています。そしてそれはいつしか争いにも発展していくのです。
成功のために人は苦しむ
自分の幸せを願うことが次第に強い執着に成り、人を惑わせ、争いにまで発展してしまう。そして成功のために人は苦しみます。なぜでしょう?
人間全員がお金持ちに成ることは不可能だからです。
そして人間はいつも隣人と比べ合い、比較しながら生きています。
少しでも人より多くの物質を手に入れたがるのです。
それが上に立つことだと考えているからです。
小さな世界で、小さな物質を得ることを最高の喜びだと思ってしまうのです。
最近はとくにお金を稼ぐことに執着した仕事や娯楽が多いように見られます。
しかも、お金を稼ぐための「ノウハウ」を商材とした仕事が特に増えて来て、そのPRや営業があちこちで良く目に付きます。
需要よりも供給の方が多いのではないかと感じるくらいです。
私はセミナーやセッションで仏教のお話をしていく中で、お金の話もよくしています。お金はもちろん、この物質社会で生きていく上で必要なものですし、無いと生きていけません。ただし、お金の間違った解釈が成されないように、なるべく真理に沿ったお金の話が出来るようにと心がけています。
しかし、お金に対する価値観や、執着が今の時代ほんとうに間違った方向へ行ってしまってると感じます。そして最も危険なのは、そのお金自体に執着を強く持つことなのです。
お金に執着することは更なる苦しみを生む
年収が〇〇〇万円になった!
生活がリッチになった!
など、
お決まりのキャッチコピーで勧誘する姿は多々見られます。
そのようなことが成功だというならば、
「世界中の人が成功できることは絶対にない」という事ですよね。
それでは意味がなくないですか?成功は全ての人が得るべきものですよね。
一部の人しか得られないのであれば、やはりこの世は虚しく苦しいものなのです。そして、それら甘い広告、キャッチコピーに乗せられてしまう人が多いことが残念でなりません。
また、たとえ多くの富と地位が得られたとしても、心底、手放しで毎日喜びの中暮らしている人は誰一人いません。
なぜなら、人間は常に不安と恐怖の中に閉じ込められて生きているからであり、最後には病気、痛み、苦しみ、死が訪れ、そのタイムリミットの恐怖の牢獄で人生を歩んでいるからです。
先ほども言いましたように、幸福や成功は世界中の誰もが得られないと意味がないのです。お金持ちになることは、世界中の人が叶う願いではありません。そして、自分だけがお金持ちになっても意味がありません。
私たちはこの世に生きている限り決して真の幸福や成功はありえないのです。
一時、富や地位を築いても、それはまやかし・幻想世界であり、私たちはそれらを手にしたことが幸せだと大きな勘違いをして、更なる苦しみの道へと入り込んでいくのを気づいていないという恐ろしい境遇にいます。
お金を得ることは、更なる苦しみを生み、そしてその不安を消すために更にお金を得ようとし、そして更に苦しみへと突き進みます。
苦しみのスパイラルに完全にハマってしまい、とうとう抜け出せないのです。お金のまやかしの呪縛に完全に縛られてしまったのです。
お金ではない。本当の幸せとは。
お金が苦しみの象徴なのだとしたら。厳密に言うと、お金そのものが苦しみの原因ではありません。お金に執着していく過程で私たちの腐敗した心が不幸の道を創り出すのです。そしてその心は、実は自分自身では腐敗に全く気付いておらず、後に成って破滅を味わうことに成ってしまう場合が多いのです。
それならば、人を執着という苦しみに陥らせるこの世界に、真の幸福は存在するのでしょうか。
お釈迦様の説く「輪廻転生からの離脱」こそ、
本当の人間の成功・幸せだと言います。
それはお金でも地位でもありません。
それら苦しみの根元から「脱すること」なんだ、と訴えているのです。
そして、その真の幸福は、世界中の誰もが得られるものであり、
それを得られることが真の成功者だと言えます。
今、特に世間ではお金を稼ぐことのマーケティングが盛んになっています。
なぜでしょうか?
お金に執着することをあえて図っているからです。
全員がお金持ちになれないことが分かっているのに、お金が儲かるというセールスやコンサルが本当に多くなりました。
ここで勘違いしやすい落とし穴を話します。
お金儲けの話は、コンサルをする方が儲かるのです。
コンサルを受けたから儲かる、ということなのではありません。
勘違いしています。よく考えて下さい。
もし、そのコンサルを受けて全員がお金持ちになるならこの地球の経済は飽和状態になってしまいます。
コンサルでお金持ちになるのは、コンサルする方であり、受ける方ではないのです。
では、お金持ちになりたかったら、お金持ちになりたい人をコンサルする方にならないといけない理屈になります。
どちらにしてもそれでは意味がないということが良く分かりますね。
極端な話、全員が供給の立場になったらおかしな話です。
たとえ一時、お金が増えて年収も上がって良い暮らしが出来るようになったとしても、その大半が数年後には崩壊し、そして十数年後には社会すら変わっています。つまり、お金に執着することはなんの意味も持たないのです。
そのような世の中では、たとえお金がたくさんあっても苦しいだけのものなのです。
なぜならそれは、
一国の王子様で、ぜいたくな暮らしをしていたのに、その素晴らしい自分の身分を捨ててボロボロの貧乏修行をした「お釈迦様」が立証してくださいました。
毎日のぜいたくな食事も、美しい女性を何百人と侍らしても、豪華なお城に住んで何不自由ない暮らしであっても、お釈迦様はそこを疑問としたのです。どんなに物質的に豊かであろうと、それは一瞬のまやかしに過ぎない。私はいずれ年老いて、病気で苦しみ、死んでしまう。死んでしまったらこのぜいたくな暮らしは一瞬で終わってしまい、あの世には持っていけない。
この世の本当の幸せとは何だろう?それは物質的に豊かなことであろうか?私は王子様であっても全く真の幸福感を得られない。ただ、虚しいばかりだ。
お釈迦様はそう思って全てを捨てて修行に旅立ちました。そして、死の淵ぎりぎりまで苦しい修行をし、とうとうこの世の「真理」を発見し、目覚めてしまったのです。
本当の幸せとは、
この苦しみの世界から本当に抜け出して二度とこの世界に戻らないこと
だと。
人間は輪廻転生を繰り返しています。
そのたびに、お金を儲けないと苦しい、という人生を何度も歩みます。
そのたびにお金が成功だと言われ、
そのお金が得られない苦しみを味わい、
そしてお金にしがみつき、物質に執着して、醜い戦争を繰り返し、
自分だけが良ければというあさましい考えの中、心に嘘を抱いて生きていくのです。
お金を得られても苦しく、得られなくても苦しい。
この世の中は苦しいものなのだとお釈迦様は断言しています。
それでは、なんのために必死になってお金を稼がないといけないのでしょうか。
みなさんはそれでも何千万の年収を得て良い暮らしができることが成功・幸福だと捉えますか?
お金に執着している時間はもったいないのです。
考えてみてください。
お金持ちになっても最後は死んでしまえば、生まれ変わった時、ゲームのリセットのようにまた一からやり直しです。
そしてまた、執着の苦しみを味わいながら生きていかなければなりません。
本当の幸せは、その苦しみから解き放たれることなのです。
そこに早く気づき、そして、解脱(苦しみの輪廻から解き放たれること)をすること。
お釈迦様が本当に一番伝えたいこと。
それは、早く世界中の人々が本当の幸せに気づいてくれること、なのです。