仏教の偉人|玄奘(げんじょう)三蔵法師 vol.1

西遊記の物語で有名な三蔵法師は実際の人物でした。
その名は玄奘(げんじょう)三蔵。
彼は唐時代の僧侶で、長安から天竺まで仏教を習いに旅をした人です。
その旅は大変過酷な旅でした。
西遊記ではお供の勇敢な弟子達(サル、河童、豚)が一緒に付いて来てくれて、
過酷な旅路にて、彼らが三蔵を魔物から守ってくれました。
西遊記|呉承恩(作) 瀬川康男(画)
しかし実際の三蔵法師・玄奘はたった一人で旅立っています。
途中何度かお供になった人物もいましたが、道中があまりに過酷過ぎてリタイヤ続出したわけです。
結局ほとんど一人ぽっちの旅でした。
実際、玄奘は命からがら(何度も死にかけて)インドまで辿り着いているのです。
ガタイも立派で、歳も若かった(27歳)ので、そのような過酷な旅路も耐え凌ぐことができたのかもしれませんが、
それ以上に彼を奮い立たせたのは「不東」の信念。
その決意が、どんな困難な道のりにも屈せず支えになっていたのだと思います。
「不東」は、
インドに辿り着くまでは、どんなに苦しくても、
決して東(長安)には戻らないという固い決意です。
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奈良・薬師寺には玄奘の遺骨があります。
薬師寺では年に一度、その遺骨が祀られている玄奘伽藍が公開されています。
玄奘三蔵の、世の人々を救うためインドまで命懸けで出向いた精神が、
今でも薬師寺で生きています。
不東の文字
年に一度の公開期間ではこの伽藍の中に入ることができます。
普段はここでしか拝めません。
美しい場所です✿
玄奘は
27歳の若さで、人々のために命懸けで旅をしました。
インドの大学で難しい仏教学を学んで、また命懸けで帰途につき、
42歳でインドから帰って来てから64歳で亡くなるまで、
平均睡眠時間3~4時間で、
一日中ただひたすらお経を訳す作業で人生を送っています。
インドの生活は楽しかったようです。
ずっとそこで暮らしたいな、と少しは思ったかもしれません。
現地の僧侶たちが玄奘に帰国することを止めたりしました。
それでも彼は、また敢えてあの苦しい道のりを帰ることを選びました。
何のために命を懸けてインドに来たのか。
それは、母国の人々を救うために来たのだから、
自分が楽しく人生を生きることはあり得ないわけです。
その想いがいつまでも「不東」の信念に焼きついています。
当時の仏教は人々を救うものとして期待されていました。
そしてその時代の唐はまだ建国されてまもなくだったため、治安も悪く人々の生活も不安定でした。
人々が大変苦しんだ時代の渦中だったわけです。
玄奘は早く国に帰って人々を仏の教えで救いたいと願ったのでしょう。
玄奘の功績は今はたくさんの著作がありますので簡単に知ることが出来ます。
このサイトでも、彼の功績を書き綴っていきたいと思います。
まずは、どれだけ大変な道のりだったのか、
今回は彼のインドまでの道のりを示してみました。
玄奘が歩いた道のり
玄奘の辿ったルートをGoogleマップで印を付けてみました。

ルート検索にあたり参考にした文献
「玄奘三蔵|西域・インド紀行」慧立(著)
地形で見ると・・・・!
砂漠とかヒマラヤ山脈とかぐるっと迂回しながら、
とんでもない距離を、とんでもない自然の驚異と闘いながら、歩いてます。
自然の厳しさだけが彼を苦しめたのではありません。
盗賊たちに襲われたり、
追手に追われて唐に引き戻されようとしたり(詳細は別にて)、
とにもかくにも、
なぜそんな少しも楽しくない、むしろ苦しい道を選んだのか。
次回、
玄奘エピソード2にてお伝えする予定です。