仏教の偉人|ツォンカパ(チベット仏教僧)

ツォンカパは、チベット仏教において最も偉大だと言われている僧侶の一人。
代々のダライ・ラマの所属する宗派ゲルク派の開祖です。
14世紀後半、ツォンカパはゲルク派を興しました。
彼の仏教的思想は、アティーシャのカダム派の流れを汲む軸を持ちながらも、
独自の考え方でその思想形態を発展させていったものでした。
ツォンカパは、チベット仏教では宗教改革者として名高く、
独特の改革的な思想に基づいてカダム派を立てました。
彼の意図は、尊敬するアティーシャの考え方に基づいて、
結果、あらゆる仏教を統合することにあしました。
ツォンカパの功績としては、
それまでのチベットでの仏教で問題視されていた顕教と密教のアンバランスをうまく統合してまとめあげ、
長年の仏教の問題を解決したことにありました。
ゲルク派では特に、それまで不安定になっていた戒律を復興することを主張しました。

顕教と密教、戒律と無上ヨーガを整理し、特に無上ヨーガに関しては、
灌頂と密教の種々の戒律を受けずに学ぶことは禁止しています。
そのように数多くの厳しい戒律のなかで修行し、その体系は清新さを保つ組織となっていったのです。
無上ヨーガを乱用した一部の密教宗派はチベットでも大衆から反感を得ていたので、
戒律を復興したゲルク派の教えは多くの人に支持を受けました。
それがゲルク派の勢力を急速に広げることとなりました。
そしてのちに、アティーシャの伝統を護持するカダム派もゲルク派に合流し、
今日のチベット仏教ではニンマ派、サキャ派、カギュ派を抜きんでてゲルク派は
僧侶の人数では圧倒的多数を占めているということで、チベット仏教の主たるものと言っても過言ではありません。
チベット密教は、滅亡したインド後期密教の遺産をそのまま受け継いだため、
その思想の矛盾などにより論理的に混乱を招いていました。
そしてそれらを確実に整理する必要があったのです。

ツォンカパは、アティーシャが試みた仏教の矛盾による解決をついに理論的解決に導きました。
その教義は、密教を優れた教えとした上で(覚りに到達するのは顕教より密教の方が早いという特性を認めた)、
しかしそれだけでは危険だということで顕教の重要性も説きました。
顕教に対する密教の異端的な思想という立ち位置を、理論づけて両教を絶対的に両立させたのです。
ゲルク派での密教修行では、まず密教の修行に入る前に必ず顕教の修行を終えていることが求められました。
顕教の修行を必須とし、それなしでは密教の段階へ進めないという体系を取りました。
この点が、ゲルク派の最大の特徴と言われます。
体験のみの至上主義的な修行では、一種特殊能力が芽生えた際に自分は神と通じたという錯覚に陥りがちであり、
ツォンカパはこの危険性を強く説きました。
基本に戻って、仏陀の正しい教えが修行者の心身に浸透していることが重要であり、
それを省いての仏になる理由は決してないと断言しました。
密教の体験修行で得た特殊能力を、自らの欲望のために横行する場面が多くみられたことに懸念し、
ツォンカパはブッダの正しい教えや仏教の戒律を優先的に取得することを根本に置くようにしたのです。
彼を祖とするゲルク派は、数多くの戒律を保ち多くのチベット人の支持を得たため、
チベット仏教の最大宗派へと発展しました。
チベット仏教がモンゴルと清朝に対する布教に成功して世界的に信徒が増えている理由も、
この仏教の矛盾への解決があったゆえだと思われます。
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ツォンカパの弟子達
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●ダライラマ一世
ツォンカパの直弟子であるゲドゥン・トゥブパ
スーナム・ギャツォ(ダライラマ三世)の功績によりダライラマ制が始まり、遡ってその師がダライラマ一世として諡号されることとなった。
●ダライラマ二世
トゥブパの転生であるゲドゥン・ギャツォ
上記の理由によりダライラマ2世と諡号される。
●ダライラマ三世
スーナム・ギャツォ
モンゴル地での布教活動の成果を当地の長であるアルハタ・ハーンに認められ、「ダライラマ」という尊称を与えられた。これにより遡って師に当たる2代前がダライラマ一世と二世として諡号された。
●シャキャー・イェシェー
ツォンカパの代理で明帝に謁見している。帰国後、ラサの北部にセラ寺を建立し、ツォンカパの教えを学ぶ拠点となった。
●シェーラプセンゲ
ツォンカパから密教の後継者に指名され、後事を託された。
●ギャルツァプ・ジェ
ゲルク派の寺院ではツォンカパと弟子2人の三尊として祀られている。その弟子の一人。
ガンデン寺の第二世座主と任命された。
ガンデン座主は、宗祖ツォンカパの後継者としてゲルク派を指導する菅長職である。
●ケートゥプ・ジェ
ガンデン寺の第三世座主。